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【快適だったシドニーのアパート】

2016年2月26日「金曜日」更新の日記

2016-02-26の日記のIMAGE
 もう20年も前のことですが、私はオーストラリアのシドニーに留学しました。 "シェアー"といって、学生はひとつのアパート(2LDK)に友人と住みます。学生だけでなく、働いている人たちが友人同士で住むこともあります。日本のアパートとは違って、ひとつの部屋が大きく、2つの机、ダンス、ベッドなどゆとりをもって置くことができます。まあ、国土自体が広いからできることですが…。  私のいたアパートは、通路や階段が室内にあり、入るとすぐ人感センサーが作動し、点灯しました。当時の日本では一般的ではなかった設備でしたので、少し感動したものです。外観も手入れが行き届き、木や芝生がまわりに植えてありました。そしてアパートといえども、キッチンは電磁波でした。  このアパートは学生が多く住む、けっして高くないところにありましたが、それでも満足できるつくりでした。「日本のアパートもここみたいだと、住む人が快適になるのに」と思ったりもしたものです。  そのころの日本は、人が望む家を考えて建てなくても、建てたら満室になる状態でした。外国人の友人に「日本ではアパートを借りるときに、大家さんに礼金を払う」と話したら、びっくりされたものです。需要が供給を大きく上回っていたから取れたお金です。でもこのごろは、空室を埋めるために礼金を取らない大家さんも多くなったようです。家自体もとても良くなってきています。それだけオーナーにとっては、本当のアパート経営の質が問われる時代になったのです。

引っ越しの思い出

大学1年生になるときに初めての引っ越しをした。もちろん初めての一人暮らしだ。田舎の出身の僕は東京に出て、右も左もわからない状態だった。親に進められるように物件を決めては、親の言うとおりの生活を送っていった。ただ良い点もあった。隣のお姉さんがやさしくしてくれたのだ。その人は24歳くらいの社会人の人で、夜になると夕飯をわけてくれたり、一緒にご飯にいってくれたりした。今考えるとそれは、遊びだったかもしれない。その時の僕の気持ちはものすごいお姉さんに、夢中だった。当時の思い出を振り返り、僕はクレスト駒込Ⅱに引っ越しをする。これからはここが我が家になる。東京生活の第2シーズンの始まりだ。

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