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二度目のマイホームが必要なとき

2019年2月24日「日曜日」更新の日記

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独り身が結婚して二人になれば、「新居」が必要になる。一人で十分な家と、これから家庭を築くそのスタート台となる家では、求められる広さも機能も、そして住環境も異なるからだ。さらに、子供が生まれ、自室を欲しがる時期が迫ると、また住まいの見直しが行われる。このように、家族構成が変わると家も変わるのが当たり前……なのだが、家族が減るときは別。子が巣立ったあと、家族構成が変わっても家を変えないケースが多い。これは、ある意味、不思議な現象である。子供が巣立った後の住まいを、その虚脱感も含めて「エンプティーネスト」と呼ぶ。直訳すると、「空になった巣」。親としては、たとえ空になっても思い出の詰まった家は棄てにくい。子供も、帰るべき家を残しておいて欲しいと思いがち。これは、親と子のごく普通の心情だ。思い切って家を棄てればいいことがある。例えば、引越しを機に、溜まりに溜まったゴミを捨てることができる。二人だけの暮らしに合った広さの家に移れば、光熱費が節約できるし、掃除も楽。最新のマンションに移れば、セキュリティを守りやすいし、庭の手入れに煩わされることもないなど、いろいろな意味で身軽になれるのだが、それができないケースが多い。二人には広すぎる家の一部だけを使って生活し、多すぎる食器のほんの一部だけ使って食事をするのは、家族が仲睦まじく暮らしていた時期の思い出から離れられないから。「この家、いっそ売ってしまえば」と子供が勧めても、「今、売るのは損。土地が値上がりしたら売る」と言う。しかし、土地が値上がりすれば、「また上がるから、今は売らない」と言うに決まっている。要するに、自分にとって楽しかった時代から離れることができないのである。「巣」がにぎやかだった頃を懐かしむ気持ちもよくわかる。楽しかった時代を振り返り、あの頃に帰りたいという気持ちは誰にでもあるもの。しかし、六十を過ぎた親と四十を過ぎた息子・娘が"あの頃"のように暮らすことは、もうできない。「子育て」は、親にとっても子にとっても華やかで充実した時期にあたる。楽しいだけに、終わりが辛く、思い出がいつまでも後を引く。それでも、終わったものをもう一度繰り返すことはできない。そんなこと、五十を過ぎた人間なら言われなくてもわかっている。わかってはいても、思い出の詰まった家は棄てにくい。その結果、家に縛られ、自由に飛び立つチャンスを棄ててしまっている人がどれだけいることか。もちろん、すべての人が家を棄てる必要はない、しかし、家を替えれば新しい世界が開ける予感があれば、身軽になって思い切って飛ぶべきだと私は思っている。

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